先日学内で行われた卒業設計と修士設計を見てきた。
去年、自分が経験しているだけに一つ上からまたは客観的に見ることができ、その後の打ち上げも含めてとても考えさせられた。
卒業設計はそれまでの課題と異なり基本的に学生の自由である。
自由であるからこそ一番の問題はそれを「どう評価するか」ではないか。
学生の主張と教員の評価。
学生の主張は当然それぞれ異なり、それに対し教員の評価軸はというと・・
傍から見ていて感じたのは「社会性」の重視である。ちなみに去年は「プログラム」。
要は建築はマスターベーションではいけないということであり、これまでは私もそう考えてきた。
でも逆の言い方をするとマスターベーションを唯一許されているのが卒業設計では。
だからこそ学生には自分の作品を主張する「パッション」が必要で、それが欠けていた。それがあれば評価する側もそこを見てくれる。
つまり、同じフィールドに立たないとあまり意味がないのと同時に、それに至るまでの作品に練り上げる必要がある。
一方で、修士設計の位置づけが何なのかは難しい。
卒業設計よりサーベイが濃いのか、分析が高度か、社会性があるのか、考え・哲学があるのか・・
まだ自分の中で消化しきれてはいない。
だから早く考えないといけない。やりきる為にも。